恥・無防備を知るためにぬかるみに足を踏み入れその果てに得られる答えはなんなのか?
毎月恒例の月1社内研修が令和3年7月23日にありましたので、内容を備忘録としてブログに残しておきます。過去の社内研修内容を確認したい場合は下記からご覧ください。
ブログ限定社内研修
今回の社内研修では前回に引き続き「利用者の人数、定員超過利用減算、人員基準と常勤換算」について行っております。こちらの内容は前回まとめて書いておりますので、気になる方は下記からご覧下さい。
んで、以前に書いた通り、これだけだと物足りない方もいるかと思いますんで、ここからはブログ限定社内研修を行います。時間の都合上、社内研修に導入できずにいた内容です。
是非、各自でご覧いただければよろしいかと思います。
恥について語ったTEDトーク後にブラウン教授が学んだ2つのこと
今回の内容は今月の障がい者支援について考えるシリーズの番外編で登場した、恥をかく大切さの続きになります。
というのも、今回ご覧いただく動画はテキサス大学のブレネー・ブラウン教授が恥の研究についてTEDトークを行った後の話でして、それを本人がTEDトークしている動画なんですよー。まさに続編です。
では、早速動画を見ていきましょう…!
では、一通り動画も見たことですし、ポイントをまとめていこうと思います。
前回のTEDトークを行ってからブラウン教授は2つのことを学んだそうです。
その2つとは
- 1つ目は無防備さは弱さでないこと
- 2つ目は恥について話さないといけないこと
とのこと。
無防備さは弱さでないこと
無防備なことを皆、弱さだと思いますが、一方で前回のTEDトークのブラウン教授の無防備さを目にしたほとんどの人は勇気があると思ったそうです。
この矛盾はどういうことでしょうか…?
ブラウン教授曰く、無防備さとは、感情面のリスク、傷つく可能性、不確実さであると定義できるそうです。
そして、
- 無防備さ≠弱さ
- 無防備さは日々の生活の原動力になる
- 無防備さは勇気を示す最も正確な指標である
とのこと。確かに無防備に正直に自分をさらけ出すのは勇気の指標になり得ますね。
ブラウン教授は前回のTEDトーク後、講演のオファーが殺到したそうです。依頼者は学校や保護者会、フォーチュン500に掲載される企業までと様々だったそうですが、大半のところから、無防備さや恥以外の講演をお願いされたらしい(笑)。じゃあ、何の講演を依頼したかというと
- イノベーション
- クリエイティブ
- 変革
だったそうです。
ですが、この3つは無防備だからこそ生まれるものだとブラウン教授は強調しております。
例えばクリエイティブを働かせ、イノベーションを起こすというのはこれまでにない新しい物を考え、作るということ、つまり、無防備でないと思いつきませんし、生まれもしません。同様に変革とは変化に適応できるということで、これもまさに無防備になれるということです。以上からも無防備さは弱さではなく、生活や仕事の原動力になり得ると言えます。
恥について話さないといけないこと
ブラウン教授は前回のTEDトーク後のある日、スポーツ用品店で買い物していたそうです。その時、30メートルくらい離れたところから「無防備TED!無防備TED!」と言われたそうです。気にしないように歩いていたそうですが、すぐ背後で「無防備TED!」という声がしたんだとか。振り向いて、あいさつをすると「あなたは挫折した恥の研究者でしょう?」と言われたそうです。「無防備TED」になったとき、ブラウン教授は恥の研究をやめようと思ったそうです。
しかし、TEDトークの出来事を乗り越える中で重要で基本的なルールを思い知らされたんだとか。それは、子どもの頃から教わってきた道徳的なルールだったそうです。
恥と言うぬかるみに足を踏み入れ確認する理由
ブラウン教授は無防備さや勇気や創造性やイノベーションについて学べたのは、恥の研究をしたからだと言います。
例えばTEDトーク。TEDはなぜ素晴らしいか…?それは失敗のカンファレンスだからということです。TEDトーク者のほとんどが失敗を恐れていない、また、失敗していない人がいないそうです。
そして、ブラウン教授も何度もみじめな失敗をしてきたそうです。しかし、恥が邪魔して、失敗を恐れない、皆失敗していることに世間は気づいていないことが多いそうです。
そんな時、ブラウン教授はルーズベルトの有名な言葉に救われたんだとか。
- 批判する人に価値は無い。観客席から行動した人間を指して、どうすれば良かったとか、どんな風に躓き失敗したのかと、指摘するだけの人に価値は無い。埃と血と汗にまみれて努力した、競技場に立つ人に名誉は与えられるのだ。競技場に立つ人は、うまくいけば勝利を得るし、失敗すれば敗北を喫する。しかし、失敗し、敗北したとしても、それは果敢に挑んだ結果なのだ
果敢に挑み、競技場に立つこと、これこそが人生の意義、カンファレンスなんだとブラウン教授は言います。
競技場に向かい、入口に手をかけて、こう考えます。さぁ、やるぞ…!これをやってみよう…!しかし、恥が邪魔をしてこんな風に言うのです。「おいおい、できると思っているのか…?MBAも取ってない、女房には見限られた、親父がいたのはルクセンブルグじゃなくって刑務所だ。育ちが良くないことを知っているぞ。そんなに綺麗でも賢くもない。才能もなければ力もないって自分で分かっているだろ…?CFOになったときでさえ、親父は全く気にかけてなかっただろう…?
恥とはこういうものです。
しかし、こういった声を抑え込み、競技場に入って、さぁ、やるぞ…!と思い、目を上げて、笑っている批評家を見ると、それは99%自分自身です。恥は自分自身を2つのレッテルで縛ります。
- お前は十分じゃない…!
それを乗り越えても、
- 何様のつもりだ…?
というレッテルが自分自身を縛り付けます。恥で理解すべきなのは罪悪感との違いです。恥は自分自身に、罪悪感は行為に焦点があります。恥は「私が悪い」、「ごめんなさい。私みたいな人間は間違いです」ということです。罪悪感は「私は悪いことをした」、「ごめんなさい。私の間違いです」ということです。
このように恥と罪悪感は大きく違うとブラウン教授は申しております。そして、知っておかなければならないのは、恥は様々な問題と高い相関性があることだということです。
例えば、
- 依存症
- うつ症状
- 暴力
- 攻撃性
- いじめ
- 自殺
- 摂食障害
などです。さらに知っておかなければならないのは罪悪感が上記問題と逆相関していることです。誤った行いや失敗した行いを意識し、ありたい姿と比較して振り返る能力は驚くほど適応力が高いそうです(因みに罪悪感にも良い罪悪感と悪い罪悪感がある)
恥かどうかはジェンダーで変わる…!
恥について知るべきもう一つのことは何が恥かどうかはジェンダー(生物学的な性別ではなく、社会や文化からつくられる性別のこと)で変わるということだとブラウン教授は言います。例えば、女性であれば、家事などを全て完璧にこなしながらも、なんなくやっているように見せられるかです。女性にとっての恥は「女性ならこうあるべき」という達成し得ない、矛盾と相反に満ち、期待に取り巻かれた状態とのことです。これは日本でもありますよね~。
続いて男性にとっての恥は女性より単純で「絶対に弱いと思われたくない」ということです。ブラウン教授は恥の研究を始めてからの4年間、男性を対象としていなかったそうです。しかし本のサイン会である男性に男性の研究はしていないのかと聞かれ、していないと答えると男性はこう答えたそうです。「それは助かる。だって、家族は私が英雄のように戦って死ぬ方が落馬して生きているよりも良いと思っているはずだから。もし弱いところを見せたりしたら叩きのめされちゃうんで」
このことをきっかけにブラウン教授の研究対象は男性にも及ぶことに(笑)
もしお互いのそれらを、つまり、
- もし、男性が本当の弱さや恐れを話し合えるような女性がいるならこれは信じられないくらいの偉業を成し遂げた女性ということ
- もし女性が完璧にこなす日々に疲れてしまった時、そばにいて話し合えるような、よく話を聞いてくれるような男性がいるならこれは信じられないくらいの偉業を成し遂げた男性ということ
だということです。確かにすごく共感できますね。そこまでの信頼関係は恥失くして得られないですよね。
因みにボストン大学のマハリック博士の研究によると、女性が女性らしくいるためにすべきことは感じ良く、痩せていて、控え目で、あらゆる手を尽くして容姿に気を使うだったそうです。そして、男性が男性らしくいるためにすべきことは常に感情を抑え、仕事第一で、高い地位を求め、暴力的であることだったとのこと。上記と被さる話ですね。
とはいえ恥は日常に蔓延している。では、どうすべきか…?
とはいえ恥は日常に蔓延していますんで、この状況からどう脱却するかはかなり難しいところ。そこでブラウン教授は恥が
- 私たちにどう影響するのか…?
- 私たちの子育てのやり方にどう影響するのか…?
- 私たちの働き方やお互いを見る見方にどう影響するのか…?
について、理解することが重要だとおっしゃっております。そして、もし、支え合う方法を見つけようとするなら、共感を理解し、どう共感を示すかを知る必要があるともおっしゃっております。また、恥は、秘密、沈黙、判定で増えるそうですが、共感という解毒剤で減るそうです。
共感があれば恥は自然と消えます。その最も強力な共感の言葉は 「私も、そう…!」という言葉だそうです。そして、支え合う方法を見つけようとするなら、無防備さこそが通るべき道だということです。
完璧になれないし、なれたとしても人々はその姿を見たいとは思わない。ただ、恥に果敢に挑戦し続けるという姿に共感し、一緒に向き合いたいだけ
競技場の外にいれば、それは楽です。そして、いつか完璧になったら、競技場に乗り込んでガツンと言ってやろう…!という状態になる事を人々は望みます。しかし、現実はそう甘くなく、そんな状態にはなれないし、たとえ最高に完璧な状態になれたとしても競技を見にきた人々は、そんな完璧な姿をみんな見たいわけではないということです。
ただ競技場に足を踏み入れ、一緒に向き合いたいだけなのです。みんな、ただ自分自身や自分が気にかける人や一緒に働く人のために果敢に挑戦し続けたいだけなのです。
ということで、完璧になれないし、なれたとしても人々はその姿を見たいとは思わない。ただ、恥に果敢に挑戦し続けるという姿に共感し、一緒に向き合いたいだけなんだという、大変すばらしい話でした。
ということで、完璧になれないし、なれたとしても人々はその姿を見たいとは思わない。ただ、恥に果敢に挑戦し続けるという姿に共感し、一緒に向き合いたいだけなんだという、大変すばらしい話でした。
個人的考察
ということで、恥についていかがだったでしょうか…?いや~非常に人間の見たくない側面に切り込み、これほど論理的に突き詰めた上で、そのメリットを得るための対策をここまで端的にスピーチできるブラウン教授は素晴らしいの一言ですね。ウィットに富んだジョークも話のテンポを良くしてくれていますし、内容、トークスキルともに勉強になる動画となりました。
やっぱ、人に言う前にまず自分、共感は超大事ですね…!
参考文献
リンク